第5回日本分子脳神経外科学会
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学会長を訪ねて (薬の知識/Vol.55 No.720)
脳神経外科的な疾患に 分子生物学的アプローチによる治療を目指す

桐野高明桐野高明(きりのたかあき)
東京大学大学院医学系研究科脳神経外科学教授

1946年7月、佐賀県生まれ。1972年東 京大学医学部卒業。1979年同附属病院 脳神経外科文部教官助手。1980年米国 国立衛生研究所(NIH)へ留学。1982年 帰国後、帝京大学医学部脳神経外科講 師、同助教授を経て、1992年東京大学 大学院医学系研究科脳神経外科学教授。 1999〜2003年東京大学大学院医学系 研究科長・医学部長。2003年から東京 大学副学長、2004年から東京大学理事 副学長を兼任し、現在に至る。


「プロの分子生物学者などがやる領域ではないかと思われるかもしれませんが、患者さんに近づけば近づくほど、何か新しいアプローチをしなければならないという気持ちが強くなります。外科医に分子がみえるわけではないのですが、遺伝子解析が進み、昨今急速に臨床に近づいてきたこの分野は、臨床にかかわる人間がやらないと完結しないですね。それを日本でスタートできればと考えているのです。」

こう語るのは、第5回日本分子脳神経外科学会の会長を務める桐野明氏(東京大学大学院医学系研究科脳神経外科学教授)である。同学会は、「『脳と免疫』研究会」と「脳腫瘍遺伝子療法懇話会」の2つの会を合わせて2000年にスタートした。分子脳神経外科学は、米国で先行している分野で、外科的な疾患に分子生物学的な知識を使ってアプローチしようというものである。具体的には、遺伝子解析により患者個々の治療法を決定するテーラーメード治療、遺伝子組み換え技術を利用した悪性脳腫瘍や脳血管障害の遺伝子治療、幹細胞を利用した再生医療などである。脳神経外科の臨床医ばかりではなく、多分野にわたる基礎研究者も参加し、基礎と臨床の共同によって病態解明・治療法の確立を目指している。同学会は若い脳神経外科医が意見を交換する格好の場ともなっていて、学会運営も主に若い研究者たちが担っている。今回桐野氏の右腕として学会の実務を取り仕切るのは、同脳神経外科学講師の藤堂具紀氏である。ちなみに本取材は、「学会運営の責任者は藤堂先生です」と、同席する藤堂氏を紹介する桐野氏のひとことから始まった。

「近年、医学の分野ではトランスレーショナルリサーチが重視されています。これは、実験室レベルの研究を臨床に移行する、あるいは逆に臨床での事象を実験室にフィードバックして分子レベルで解明するアプローチです。がん治療の領域などでかなり進んでいるようですが、本学会でもそれを確立していくことが、使命のひとつであると考えています。」(藤堂氏)

第5回となる今学会は、9月4日、5日の2日間にわたり東京大学医学部鉄門記念講堂で行われる。トピックスは、まず米国のハーバード大学教授のDr.Robert L. Martuzaを招聘し、『遺伝子組み換えHSV-1を用いたウイルス療法の現況と展望(仮題)』と題した特別講演を依頼した。Dr. Martuzaは、腫瘍で特異的に増殖するウイルスを使って脳腫瘍を治療する研究を行っており、すでに米国では臨床試験が行われている。このウイルス療法は、ウイルスのゲノムに遺伝子操作を加える実験室レベルの研究を実際にヒトに応用したトランスレーショナルリサーチの好例である。ランチョンセミナーには2つの演題が予定されている。1つは、東京大学大学院医学系研究科神経内科学教授の辻省次氏による『脳神経疾患の分子生物学的機序(仮題)』。神経疾患の発生メカニズムを遺伝子により明らかにしようとするものだ。もう1つは、東京大学大学院医学系研究科免疫学教授である谷口維紹氏による『免疫と発癌におけるインターフェロンとIRF/Stat転写因子の役割(仮題)』である。同学会は、母体となった研究会に由来する“免疫”も重要テーマとしており、免疫を分子レベルで解明しようとする研究の一端が発表される。そのほかに5つのセッション、初日にはポスターセッションが予定されている。さて、分子生物学的アプローチにおいて、脳神経外科領域で最も期待されているのは、悪性脳腫瘍に対するウイルス療法である。

「悪性脳腫瘍の治療は、いわば砂場の中にざらめの砂糖をばらまいて、砂はそのままにして砂糖だけを選別することに等しい。これは手術では至難の業です。その先端的なアイデアのひとつが、ウイルスを使った治療です。」(桐野氏)

悪性脳腫瘍治療におけるウイルスの利用法には、ウイルスを運び屋として使うやり方と殺し屋として用いるものとの2つがある。つまり、遺伝子操作を加えることによって、ベクターとして腫瘍中でがん抑制遺伝子や免疫賦活遺伝子を発現させるウイルス、あるいは腫瘍細胞だけを特異的に殺すウイルスの両者に変えることが出来る。さらに、最近は運び屋と殺し屋の両方の作用を備えたウイルスを作ることも可能になっている。
写真左は藤堂具紀氏
写真左は藤堂具紀氏

藤堂氏は、特別講演の演者であるDr. Martuzaのもとで、こうした研究に7年ほど従事していた。近年、種々のがんに遺伝子治療が試みられているが、悪性脳腫瘍は、最も初期に遺伝子治療が試された対象のひとつだった。理由は、悪性脳腫瘍が非常に分化が進んだ組織の中に未分化な細胞の集団があるという特殊な環境に存在し、効果が確実な標準治療法がなく、定位脳手術という方法により腫瘍に的確にベクター等を投与することが出来るため、遺伝子治療に適していたからだ。

悪性脳腫瘍は、1960年代から治療成績が伸びていないと、桐野氏は強調する。

「膠芽腫という最も悪性の脳腫瘍の場合は、平均生存期間が1年、5年生存率が8%です。膵臓がんや肺がんよりも生存率が低い。他のがんは5年生存率が徐々に改善してきていますが、悪性脳腫瘍は全く改善がないのです。発生頻度は少ないのですが、おそらく脳神経外科医のほとんどが直面している悲惨な病気ですから、新しい治療法が強く求められています。原因となる遺伝子背景には、いきなり悪性になるタイプと段階的に悪性になるタイプの2つがあることまでは解明されています。これを治療にどう結び付けるかが、学会の大きなテーマであり、脳神経外科の世界では大きな課題だと思います。」(桐野氏)
分子生物学的アプローチの2つ目の課題は、傷害されやすい脳をいかに保護し再生を促進させるかである。特に虚血に対する再生医療は桐野氏の研究分野のひとつであり、1980年代には海馬の遅発性神経細胞死の研究で耳目を集めた。氏の研究がモデルケースとなり、米国でも多数の実験が行われたという。

「脳は再生しない、というのはほぼ真実です。ただ、大人の脳でも嗅上皮の神経細胞と海馬の歯状回では再生が起こることが以前からわかっていますが、それ以外には知られていませんでした。ところが、ネズミの脳に虚血を起こすと海馬の細胞が消失するが、しばらくすると神経細胞の再生がみられることを確認しました。そこに、ある栄養因子を加えると40%くらいまで再生し機能も戻ります。つまり、脳の損傷が起きるとそれが引き金となって神経再生が活性化されるのではないか。それが事実だとすると、軽症の脳梗塞の治療に応用できる可能性があります。」(桐野氏) 遺伝子治療やウイルス療法は臨床試験の段階まで進んでいる。悪性脳腫瘍を完全に制圧するのは困難かもしれないが、患者を10年間安定した状態でコントロールすることは可能なのではないか、と桐野氏は展望する。さらにこう続けた。

「当たり前な話ですが、医者は“病気が治る”ことに主眼をおいています。病気が治れば、治す手段などどうでもよいのです。手術で治っていた病気がカプセルひとつで治るようになっても、外科医はそれでかまわない。実際に1950年代くらいまでは、結核の外科治療があったのです。今はほとんどが内科的治療に限定されていますよね。ですから、藤堂先生がウイルス治療で腫瘍を全部治してしまえば、外科医の裏切り者ですが、医者としてはたいしたもの、となるわけです。私は毎日患者さんを診るたびに、『藤堂先生、早くなんとかしてくれよ』と、期待しているのですよ。」

「現在の主な仕事は何か」という問いに、「大学の財務」と笑いながら答えた桐野氏。大学副学長の任務も背負う現在、多忙を極める日々のなかで、新しいアプローチを自ら研究できないのが、残念そうである。

 

●会期:2004年9月4日(土)・5日(日)
●会場:東京大学医学部鉄門記念講堂
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